沖縄剛柔流・泊手空手道協会 礎を築かれた先生たち

剛柔流

ルールーコー(謝如如)

ルールーコー

1852年生。鳴鶴拳羅漢拳の名師。
1874-1877の3年間で、東恩納寛量に鳴鶴拳を伝えたと考えられる。
師は永らくその存在が謎であったが、渡嘉敷唯賢先生の調査によりその実像が判明した。
この調査の経緯は、月刊空手道2003年9月号、10月号にも紹介されている。(月刊空手道2003/9より)

東恩納寛量

東恩納寛量

1853年生。新垣世璋に師事し、若くして有名な武術家となる。22才の時、中国・福洲に渡り、ルールーコーに師事。帰国後、宮城長順、許田重発らを育成した。沖縄空手(唐手、手(ティー))の中興の祖。

宮城長順

宮城長順

明治21年生。14才の時、東恩納寛量に師事した。後に那覇手を剛柔流と命名し、また幾多の傑出した武道家を輩出するなど文武両道を極めた武人である。「人に打たれず 人打たず ことのなきをもととする也」

比嘉世幸

比嘉世幸

明治31年生。13才の時、東恩納寛量に師事。師亡き後は、兄弟子宮城長順の教えを受け、多年にわたり、空手道の研鑽を積んだ。

福地清幸

福地清幸

大正8年生。沖縄県立第一中学校当時、剛柔流比嘉世幸に師事、空手道を修練し、のちに剛柔流専武館を開設し空手道の普及発展に全勢力を傾注された。


泊手

仲宗根正侑

仲宗根正侑

明治28年生。松茂良興作の高弟、松茂良興佐、伊波興達、真栄田義任、仲里睦弼らに師事。
泊手の唯一の継承者であり、仲宗根カーカーと呼ばれ、最後の武士と人々から敬慕されていた。
「慎みの一字を守っていれば、どうして過ちなどが起きようか、一生この世の中を平穏無事に過ごすなら、誠の他に手立てがない」

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